Bonjour. Madoriです!
パリ滞在記の続きです。
今回は、楽しみにしていたマレ地区の中でも最も期待していたPlace des Vosges(ヴォージュ広場)を訪れたときのことを紹介します。
結論、期待以上の素晴らしいところでした。
「パリで最も美しい広場」としてパリ好きな人には知られておりますが、それほど観光客が多くないため、現地のパリジャンやパリジェンヌのように過ごしたい人にもおすすめの場所です。
Place des Vosges(ヴォージュ広場)
Place des Vosges
ヴォージュ広場
やってきました!ヴォージュ広場。
パリで最も美しく最も古い広場のひとつといわれています。
その美しさから、観光客だけではなく長い間パリ市民からも愛され続けているとのこと。
ヴォージュ広場を知ることになったきっかけ
この広場、実はその存在を知ったのは、ごく最近(3年前)なのです。
旅番組のパリ・マレ地区の回が放送されたときにヴォージュ広場も紹介されたのですが、まるで一枚の美しい布を広げたような見事に調和のとれた佇まいに魅了され、いつか訪れたいとずっと夢みていました。
子ども時代からパリに憧れていたことは何度かこのブログでふれていますが、その後イタリアやスペインにも興味を抱き、パリから少し離れていた時期がありました。
ですが、このヴォージュ広場の映像を眺めたことで、私の中のパリブームが再燃したといっても過言ではありません。
ヴォージュ広場の歴史
ヴォージュ広場は、ブルボン朝の創始者でもあるフランス国王アンリ4世の、「パリを世界で最も美しい都にしたい」という望みに従って、17世紀に都市計画の一環として造られました。
広場の建設が企画されたのは1605年のことです。
アンリ4世自身は狂信的なカトリック教徒によって暗殺されてしまい、無念にも広場の完成をみることはできませんでした。
広場の完成は7年後の1612年で、ルイ13世の時代に完成しました。
左右対称の広場の中央には、ルイ13世の騎馬像が鎮座しています。
当時、この広場は「Place Royale(王の広場)」と呼ばれていたそうです。
広場は、外観が全て同じスタイルで統一されているのが大きな特徴で、南北にある「王の館」「王妃の館」を含めて36軒のPavillon(館)に囲まれています。
この館には、宮廷の高官や貴族たちが住んでいました。
この広場は、かつては社交の場、または貴族たちの決闘の場ともなっていたのだとか。
1789年のフランス革命後は、「王」と名のつくものがことごとく排除されたため、現在の「Place des Vosges(ヴォージュ広場)」という名称に改められました。
せっかく撮ったプレートがピンボケで申しわけありません。
ヴォージュ広場の現在の様子
ここからは、現在のヴォージュ広場の様子を、たくさんの写真とともに紹介していきたいと思います。
こちらは、広場を囲む建物の1階部分です。
1階部分はアーケード付きの回廊となっており、画廊、骨董商、レストランやカフェなどが並びます。
赤いレンガと白い石造りの建物が広場を囲むように続いています。
この広場の周囲に建つ、くるりんとした街灯が愛らしいですね。
照明部分を拡大すると、このような感じです。
美しい広場の写真を眺めていると、広場でのんびり過ごしたときの記憶が蘇ってきます。
そして、広場は紅葉もとても美しかったです。
秋のヴォージュ広場、とてもオススメです!
ヴォージュ広場ギャラリー
ここからは、ヴォージュ広場の中の様子を写真だけ並べてみることにします。
その美しさや、のんびりした空気を感じていただけたらと思います。
一部、フィルター加工した写真も載せています。
※ 画像をクリックまたはタップで大きく表示できます
ヴォージュ広場の芝生でくつろぐ
広場を一周して写真を撮ったあとは、カメラをしまいリラックスタイムです。
しばらくの間ベンチに座り、ダンナさんとおしゃべりをしながら美しい広場や建物を眺めたり、通り行く人をボーッと眺めたり、芝生にゴロンとしたりして過ごしました。
芝生に寝っ転がるのが気持ちよかった。
ゆっくりと流れる時間に身をゆだねるのも幸せだね。
パリは楽しく刺激であふれていますが、現地のパリジャンやパリジェンヌのように、こんなのんびりした過ごしかたもいい思い出になりますね。
こちらは、私たちが広場の芝生でくつろいでいるところです。
ダンナさんは、芝生に寝転がって本当に寝ちゃいそうでした。
そういえば、この日の天候は曇ときどき小雨。
ノートルダム大聖堂を眺めていたときは小雨がパラついていましたが、マレ地区を通りかかった頃には雨はすっかり止んでいました。
芝生も濡れていませんでした。
Maison de Victor Hugo(ヴィクトル・ユーゴー記念館)
Victor Hugo
1802年2月26日 – 1885年5月22日
『レ・ミゼラブル』の著者として著名。
フランスが誇る19世紀最大のロマン主義の詩人、小説家。
2020年3月まで改装工事で閉館中のため立ち寄れませんでしたが、ヴォージュ広場を囲む館のひとつにヴィクトル・ユーゴーの暮らした家、Maison de Victor Hugo(ヴィクトル・ユーゴー記念館が)があります。
そこには、ユーゴーや家族の肖像画が飾られています。
そして、奥にある書斎はLes Misérablesなどの数々の名作が生まれた記念すべき部屋であるとのこと。
ヴォージュ広場は再訪間違いなしの場所なので、次にパリを訪れたら記念館にも足を運びたいと思います。
ヴォージュ広場につながるL’Hôtel de Sully(シュリー館)
ここは後から知ったのですが、ヴォージュ広場の隣には、「L’Hôtel de Sully(シュリー館)」という優美で小さなお城があります。
ヴォージュ広場とシュリー館はつながっており、シュリー館の中庭からヴォージュ広場に抜けることができます。
その様子が上のYouTube動画の後半でも紹介されていますので、ぜひチェックしてみてくださいね!
シュリー館の写真も載せておきます。
ヴォージュ広場近くの土産売り場でお買い物
広場をじゅうぶんに堪能した私たち。
もしここで外が暗くなったらこのままホテルへ戻る予定でしたが、まだ外が明るいので次の目的地に向かうことにしました。
ヴォージュ広場を囲う美しい建物ともそろそろお別れです。
広場を出ると、「Rue de Birague」という賑やかな通りに出ました。
この通り沿いにあるお土産屋さんで、ちょっとしたモノを買いました。
お土産屋さんは、「Under The Sand Paris」というお店です。
ヴォージュ広場を訪れた記念に、本物よりかなり小さなサイズのパリの通り名プレートを購入しました。
我が家のインテリアにも馴染んでいます。
パリの通り名プレートが好きなので、お店で見つけたときに「これ欲しい!」と、即決!
他にも、いろいろな場所を示すプレートがありました。
あとは、ミニチュアの凱旋門も購入しました。
既に持っているエッフェル塔と仲良くツーショットです。
お店では、いろいろな土産物を扱っていました。
こちらは、海外サッカーファンなので思わず反応してしまったのですが、フランス代表とパリ・サンジェルマンFCのグッズもありました。
フランスのチームらしいトリコロールカラーが可愛かったです。
グリーズマンのフランス代表ユニフォームくらい買ってくればよかったかな。
グリーズマン、かっこいいよね。
このお店では写真は撮りませんでしたが、パリではグリーズマンの人気が高いのか、ユニフォームが多く店頭に並べられていました。
グリーズマンも好きなサッカー選手のひとりです。
ヴォージュ広場近くのビストロ
お店を出て、さらに通りを進むとこれまた気になるお店を見つけました。
Café L’Arsenalというビストロです。
マレ地区のヴォージュ広場やバスティーユ広場にも近いこのお店は、パリの常連客にずっと愛されている60年代風のビストロとのこと。
公式webサイトも公式Instagramも見つけられなかったので、訪れた人が投稿した写真を貼らせていただきます。
ここも、いつかふらりと訪れてみたいです。
ヴォージュ広場の地図
ヴォージュ広場紹介の記事ですが、広場から次に向かうバスティーユ広場までを表示させてみました。
- Place des Vosges
ヴォージュ広場 - Rue de Birague
ビラーグ通り - Under The Sand Paris
- Café L’Arsenal
カフェ・ラルセナル - Place de la Bastille
バスティーユ広場
ヴォージュ広場まとめ
屋外美術館のように美しく、そして癒される場所でもあるヴォージュ広場を写真多めに紹介させていただきました。
調和のとれた風景を眺めながら、改めてパリは素晴らしい街だと実感させられました。
この魔法にかけられたように美しいパリ。
こうしてブログを書いている今も、本当に私はパリを訪れていたのだなという喜びと、何だか夢だったのではないかという想いが混ざって不思議な感覚でいます。
パリ旅の余韻は、まだまだ続きそうです。
次は、バスティーユ広場に向かうまでの道中とバスティーユ広場を訪れたときの事を紹介します。
数あるブログの中から、当ブログを訪れていただきありがとうございます。
また、ブックマークとメッセージも感謝しております。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
À bientôt ! (またね)