
こんにちは、Madoriです。
2023年9月17日〜23日、ANAマイル(特典航空券)を利用して、6泊7日の北海道旅行に出かけました。
今回のブログで紹介するのは、戊辰戦争最後の戦いの舞台になった五稜郭です。
北海道旅行3日目は、その五稜郭が一望できる五稜郭タワーを訪れました。
このタワーからは、美しい函館の景色を眺められるだけではなく、幕末の英雄・土方歳三の歴史的足跡を辿ることもできます。
歴史と絶景を堪能できる五稜郭タワーで、函館の魅力を存分に味わいましょう。
旅程は、以下のとおりです。
- 2023年9月17日〜23日 北海道函館、洞爺湖 旅程
羽田空港 第2ターミナル発〜函館空港着
土方歳三最期の地碑とベイエリア
五稜郭と夜のベイエリア
元町散策
函館山・立待岬・トラピスチヌ修道院・トラピスト修道院・男爵ラウンジ
ザ・ウィンザーホテル洞爺
新千歳空港発〜羽田空港 第2ターミナル着






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函館駅前から五稜郭方面へ移動


この日は雨予報で外での観光はできそうになかったため、五稜郭タワーを訪れることになりました。
五稜郭タワーへのアクセスは非常に便利です。
まずは、函館駅前から湯の川行きの函館市電に乗ります。
「函館駅前」停留所から乗車し、「五稜郭公園前」で下車します。
函館市電は毎日運行しており、函館駅前から五稜郭公園前までの所要時間は約16分で、8駅分の距離です。
運賃は片道230円ですが、私たちはこの日タワーだけではなくベイエリアも訪れたため、お得な市電1日乗車券(大人600円、小児300円)を購入しました。


こちらが、市電1日乗車券(大人)です。


「五稜郭公園前」停留所から五稜郭タワーまでは徒歩10分とのことでしたが、もう少し近いように感じました。





余談ですが、この近くのコンビニで折りたたみ傘を買いました。



五角形の傘でした。五稜郭を意識して作られたようです。笑
五稜郭タワーについて


五稜郭タワーは函館のランドマークで、国の特別史跡である五稜郭跡を一望できる観光施設です。
高さは107mで、展望2階(90m)からは五稜郭の星形や四季折々の風景、函館山、市街地、津軽海峡、函館湾など360度の眺望が楽しめます。
現在のタワーは2006年(平成18)に完成した2代目で、1964年(昭和39)に誕生した初代タワーを創業40年を機に建て替えたものです。



展望位置は旧タワーの2倍の高さになったそうです。
五稜郭タワー:アトリウム


1Fのアトリウムは天井と壁面の大半がガラス張りで、地元市民や観光客の憩いの場となっています。
ステージでは演奏会やショー、パネル展示、花卉展示などのイベントが行われ、土日祝日にはタワーのイメージキャラクター「GO太くん」も登場し、記念撮影が人気です。
さらに、箱館戦争や土方歳三関連のおみやげを扱う売店も充実しています。
土方歳三のブロンズ像


凛々しい姿の「五稜郭に立つ 土方歳三」の像は、創業40周年を記念し函館の観光振興を目的に建立されました。
五稜郭にも縁が深い土方歳三は、その生涯が多くの人々に共感され今も支持されています。
「五稜郭に立つ 土方歳三」の像の両脇には、「仏式四斤山砲」(模型)があります。


この大砲は、幕末から明治初期にかけて、野戦砲として最も多く使われた「仏式四斤山砲(4ポンド砲)」を参考に製作した実物大の模型です。
1866年(慶応2年)、フランスより陸軍指導のため派遣された軍事教官団とともに12門が寄贈されました。以後、日本国内でコピーにより多数が生産され、「第二次長州征討」から「戊辰戦争」の各局面、そして「西南戦争」などで使われました。
参考文献『武器と防具 幕末編』幕末軍事史研究会 新紀元社
毎年5月に行われる「箱館五稜郭祭」などの五稜郭を舞台とするイベントで、この大砲は大きな音を鳴らします。


土方歳三の像は等身の約1.2倍の大きさで、像本体は約220cmあります。


このブロンズ像の制作は、函館市出身の彫刻家、小寺眞知子さんが担当しました。


像の横には、「土方歳三 手植えの矢竹」と写真のパネルがありました。


東京・日野市にある土方歳三の生家「土方歳三資料館」から1985年に株分け・寄贈された「矢竹」です。まだ幼い土方歳三が、「われ壮年、武人となって名を天下に挙げん」と侍になって、将来、世に出ることを誓い、自ら庭先に植えたと伝えられています。
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五稜郭タワー:1階


五稜郭タワーの1階には、展望台に行くためのチケットカウンターとエレベーターホールがあります。
また、たくさんのオリジナルアイテムが並ぶ売店でお買い物も楽しめます。



函館名物もたくさんありました!




コインロッカーも1階にあります。荷物が多い方は、ここに預けてゆっくり観光を楽しんでください。


大きさ | 料金 | 高さ×幅×奥行き(cm) | ロッカー数 |
---|---|---|---|
小 | 200円 | 38×36×57 | 24台 |
大 | 400円 | 79×36×57 | 12台 |



ロッカーは五稜郭タワー正面入口を入ってすぐ左手にあります。
五稜郭タワー:2階


五稜郭タワーの2階には、和食レストラン、カレーレストラン、ジェラート店などの飲食店があります。



私たちの目的は、ジェラートです!



楽しみだね!
ジェラート「MILKISSIMO」


「MILKISSIMO」では、函館近郊の上質な牛乳や北海道の大地が生み出す豊かな恵みをジェラートにして提供しています。
「ミルキッシモ」というブランド名は、ミルクへのこだわりを表したもので、ミルクにイタリア語で最上級を表す “issimo” を組み合わせたものです。
また、函館とローマが北緯41度でつながっていることから、ロゴの下に「HAKODATE GELATO DA 41°N」と表記しています。
ミルク系のジェラートには、函館近郊で生産された上質な牛乳を使用し、低温殺菌で生乳に近い風味と栄養を保っています。
そして、旬の北海道産の果物や野菜を使い、その時期に一番おいしい品種を厳選しています。
例えば、いちごのジェラートには70%以上の生の果実を使用しています。
また、契約栽培で安全な原料を使用しています。


悩みに悩み、私たちが選んだのはこちらです。
Madori


ダンナさん


- 550円×2



定番のミルク味「ミルキッシモ ミルク」は、やっぱり外せません!



どれもなめらかで、深みがあり美味しかったです!


五稜郭タワーのエレベーターで展望台へ


五稜郭タワーに着いたときは大雨で視界が悪かったのですが、1時間ほど経つと雨が止んだので展望台に行きました。
1階のタワーチケットカウンターで「タワー展望チケット」を購入しました。



展望料金は以下のとおりです。
一般 | 団体(30名様以上) | 障害者(手帳提示) | |
---|---|---|---|
大 人 | 1,000円 | 900円 | 500円 |
中・高校生 | 750円 | 680円 | 380円 |
小学生 | 500円 | 450円 | 250円 |
エレベーターは2基あり30人乗りです。
展望台へ向かうエレベーターの中を撮影してみました。


エレベーター内が徐々に暗くなり、ブラックライトの照明に切り替わります。
すると、壁に土方歳三の辞世の句が映し出されました。


よしや身は
蝦夷の島根に朽ちるとも
魂は東の君やまもらん
1階のエレベーターホールから展望台までの所要時間は約30秒なので、あっという間です。
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五稜郭タワー:展望1階(地上86m)


展望1階(地上86m)は、ゆっくりとくつろぎながら五稜郭の星型の眺望を楽しめるフロアです。
ここではオリジナルグッズが揃った展望売店でのお買い物やカフェでのひと休みもできます。
私たちはここで買い物はしませんでしたが、外国からの観光客に喜ばれそうなTシャツがたくさん並んでいました。


また、強化ガラスの床から真下を見下ろせる「シースルーフロア」もあり、86mの高さで空中散歩の気分を体験できます。



写真は撮り忘れてしまいました。


五稜郭タワー:展望2階(地上90m)


地上90mの展望2階からは、さらに上から五稜郭の星形全体を確認することができます。
また、土方歳三の座像や五稜郭の歴史を学べる展示スペース「五稜郭歴史回廊」があります。
上から眺めた五稜郭


ずっと眺めてみたいと思っていた星形の五稜郭の全景。
晴天ではありませんでしたが、綺麗な景色を眺めることができ、市街地まで見渡せました。
こちらは、望遠で撮影した箱館奉行所です。


五稜郭公園を散策する人も見えました。


曇っていますが、函館山も確認することができました。


ブロンズ座像「土方歳三之像」


「土方歳三之像」は、フロックコートにブーツを履き、腰に刀をさした洋装姿の土方歳三が椅子に座っている姿を基に作られたブロンズ座像です。
この像は、函館出身の彫刻家・小寺眞知子先生が、よく知られている写真をもとに2年かけて制作しました。





教科書でも見たことのある有名な写真ですね。



凛々しい感じの立像もいいけれど穏やかな表情の座像もカッコいいです。
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五稜郭復元模型(1/250)


「五稜郭復元模型(1/250)」は、五稜郭が完成した当時の姿を正確に再現した模型です。



この模型を使って、現在の五稜郭と昔の五稜郭の姿を比較して見ることができます。
16景の情景模型(ジオラマ)「メモリアルポール」


五稜郭タワーには、幕末の戊辰戦争に関する展示があります。
展望2階の「五稜郭歴史回廊」展示スペースには、16の情景を再現した「メモリアルポール」というジオラマが並んでいます。
これらのジオラマは、亜墨利加船の箱館来航、五稜郭の築城、五稜郭への入城と箱館の占領、箱館総攻撃などを写真や資料をもとにして、まるで動き出しそうなほど精巧に作られています。
どの場面も人形のポーズなどが非常にリアルで、五稜郭の歴史とそれに関わった人々のドラマを楽しみながら感じることができます。
また、ジオラマを覆ったショーケースには4コマ漫画がジオラマの数に合わせて描かれており、面白く解説されています。





五稜郭の歴史やメモリアルポールについて解説した無料リーフレットも用意されています。



それを参考にしながら見学するとさらに理解が深まるでしょう。
01.亜墨利加船、箱館来航


安政元年(1854)、日米和親条約の締結により、幕府は、二百年以上続いた「鎖国」を廃止、箱館(函館)は翌年3月の開港が決定しました。箱館港の調査のためにやってきたペリー提督と、応接役である松前藩の家老が、軍艦ミシシッピ号の艦上で初めて対面しました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
02.開港場での交流


開港場となった箱館の町の通りには、買い物や散歩をする外国船の乗組員たちが行き交うようになりました。彼らは町の人々と交流し、八百屋で買ったキュウリなどを生でかじりながら歩いたり、木魚を叩いて陽気に踊ったりすることもあったようです。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
03.北の大地を拓く箱館奉行


徳川幕府が箱館と蝦夷地を治めるために任命した箱館奉行は、開拓や産業の育成を目指すと同時に、箱館の防備強化も計画しました。蘭学者の武田斐三郎が、ヨーロッパの「城郭都市」をモデルに考案した新しい要塞の設計図を奉行に説明しています。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
04.幕末の高等教育 箱館諸術調所


西欧の学問を教育・研究するための機関「箱館諸術調所」には、各地から学問を志す若者が集まりました。教授である武田斐三郎は、航海学、測量術、造船、化学などの専門的な技術と知識を熱心に教え、ここから明治の指導者達が育っていきました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
05.蝦夷地経営の拠点 五稜郭築城


安政4年(1857)、五稜郭の築造工事が始まりました。土木工事や石垣の工事、役所の建築など、各地から集まった職人や多くの労働者の努力により着工から7年後の元治元年(1864)には箱館奉行所が移転、五稜郭は蝦夷地の政治・外交・防衛の中心となりました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
06.旧幕府脱走軍 鷲ノ木上陸


旧幕府海軍の副総裁榎本武揚は、徳川家臣による蝦夷地の開拓を目指して、大政奉還により仕事を失った旧幕府の家臣らを艦隊に乗せて江戸湾を脱走しました。明治元年(1868)10月20日(新暦12月3日)、箱館の北方にある鷲ノ木沖に到着した彼らは吹雪の中で上陸し、五稜郭を目指します。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
07.五稜郭入城と箱館占拠


旧幕府脱走軍は箱館への途中で、新政府の軍隊である箱館府兵の攻撃を受けますが、これを打ち破りました。箱館府知事は青森へ退却し、10月26日(新暦12月9日)、無人になった五稜郭を占領した脱走軍は「日の丸」の旗を先頭に、堂々と入城していきます。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
08.松前攻略・館城の戦い


箱館を占領した脱走軍は松前藩に平和共存を提案しますが、松前藩は戦う姿勢を見せたため、陸軍を派遣し城下を占領しました。松前藩の新しい砦である館城も脱走軍の攻撃を受け、まな板を盾代わりに奮戦する三上超順ら松前藩兵の激しい抵抗もむなしく攻め落とされました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
09.旗艦開陽、江差港に沈む


松前藩を攻撃する陸軍を海から支援するために出撃した旧幕府軍の軍艦「開陽」は、冬の日本海の嵐により江差の港で座礁してしまいました。陸軍を率いて到着した土方歳三が、荒波に砕かれていく「開陽」を見て言葉もなく立ち尽くしています。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
10.蝦夷全島平定 仮政権の樹立


軍艦「開陽」を失いながらも松前藩を打ち破り、全蝦夷地を手にした脱走軍は、12月15日(新暦1月27日)箱館港で百一発の大砲を撃って勝利を祝いました。彼らは入札(選挙)によって、榎本武揚を総裁とする仮の政権を樹立しました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
11.明治新政府軍 反撃開始


翌明治2年(1869)4月9日(新暦5月20日)、新政府軍の大部隊が日本海側の乙部の海岸に上陸しました。脱走軍に対する反撃が開始されたのです。新政府軍は陸軍を3つに分けて、三方から脱走軍の本拠地である箱館・五稜郭へ向けて進撃を開始しました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
12.一進一退の攻防


箱館への最短ルートである江差山道では、脱走軍陸軍奉行並である土方歳三の率いる部隊が陣地を築いて、押し寄せる新政府軍の部隊を迎え撃ち、激しい銃撃戦で撃退しました。しかし新政府軍は他の二つのルートで勝利を収め、増援部隊を加えて五稜郭へ迫ります。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
13.箱館総攻撃


5月11日(新暦6月20日)、箱館と五稜郭を包囲した新政府軍は、遂に総攻撃を開始しました。箱館山裏側から上陸し崖を登って現れた新政府軍の急襲部隊により箱館の街は占領されてしまいます。これを知った土方歳三は箱館の奪回に向かいますが、銃弾を受けて戦死しました。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
14.戦時下の赤十字精神


新政府軍の一隊が脱走軍の箱館病院にも突入しました。病院長であった高松凌雲は、身動きできない病人やけが人の命を助けるために赤十字精神の大切さを訴えました。新政府軍の薩摩藩兵も患者達を救うことを約束し、この後、高松凌雲を通して脱走軍に降伏を勧めます。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
15.五稜郭開城・終戦


5月17日(新暦6月26日)、榎本武揚ら脱走軍の幹部は、新政府軍の陣地に出頭し亀田八幡宮の神前で降伏を誓いました。翌日彼らは五稜郭を明け渡し、箱館戦争は終結しました。ここに幕末維新の動乱は終了し、明治時代が本格的に動き出すのです。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」
16.静穏


箱館戦争の終了後、五稜郭の堀では、冬期間に天然氷の切り出しが行われ、明治4年(1871)には本州へ送られて「五稜郭氷」の名で売り出すほどの産業に育ちました。また大正3年(1914)には公園、昭和27年(1952)には特別史跡に指定され、激動の歴史を静かに伝えています。
引用元:五稜郭タワー「五稜郭歴史回廊」


五稜郭公園散策


五稜郭は、戊辰戦争最後の戦いの舞台で、旧幕府軍の最後の砦でした。
現在は特別史跡に指定され、五稜郭公園として親しまれています。
2010年(平成22)に江戸幕府の役所である箱館奉行所が復元され、四季折々の美しい景色が楽しめます。
1914年(大正3)には約1万本のサクラが植えられ、特に大型連休には多くの市民や観光客が花見を楽しみます。


また、フジ、ツツジ、スイレンなどの花も見事で、遊歩道でジョギングやウォーキングも楽しめます。
冬には凍った堀に雪が積もり、幻想的な景色が広がるそうです。


今回は天候が良くなかったため、ゆっくり公園を散策することができませんでしたが、次に函館を訪れた際は、時間をかけて見学したいと思いました。


五稜郭タワーの地図とアクセス
アクセスの詳細は五稜郭タワー公式HPでご確認ください。
〒040-0001 函館市五稜郭町43-9
0138-51-4785
9:00〜18:00
無休
五稜郭タワーまとめ


いかがでしたでしょうか!本記事では、五稜郭タワーから眺める函館の美しい風景と、その背後にある歴史的背景について紹介しました。
五稜郭は、日本の歴史において重要な役割を果たした場所であり、特に土方歳三が関わった戊辰戦争(箱館戦争)の舞台となりました。
タワーからは、函館市街や五稜郭の星形を一望でき、過去と現在が交差する瞬間を体感できます。
本記事を通じて、函館の魅力とその歴史的意義を感じ取っていただければ幸いです。
次回の北海道旅行記では、さらに別の魅力的なスポットを紹介いたします。



最後まで読んでいただきありがとうございました。



引き続き北海道旅行記をお楽しみください!
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